中日新聞の「自著を語る」欄で紹介されていたので,通勤読書で藤原正彦氏の「日本人の誇り」を期待して読んだ.この国の「現状」に対する危機意識はおそらく著者と共有することが出来る.
しかし… 主張の強さに比較すれば,議論が相当荒っぽい.現状の日本の困難の全てを,戦後の米国による「罪意識扶植計画」と日教組に完全に押しつけて読者を煽るような流れには,かなり違和感を感じる.著者に言わせれば,私がそれらに完全に洗脳されてしまっているということかも知れない.こうした本は必ずしも「科学的」である必要は無いのであろうが,主題の性格からは,根拠として紹介されている「事実」の裏付け情報がきちんと示されないと,私のような者は読んでいて非常に不安になる.また,現在の考え方で過去を評価してはいけないと何度も指摘しながら,当時の米国の事情を背負っていたのであろう「罪意識扶植計画」と,やはり当時の情勢を背景に活動したのであろう(当時の)日教組を批判して全てを押しつけているのは,それこそ自己矛盾していないだろうか.第二次世界大戦およびその後を日米双方の立場で議論するのであれば,私としては,例えば油井大三郎の「なぜ戦争観は衝突するか」のように文献情報もきちんと配置して冷静に分析していく姿勢の方が好ましい.「日本人の誇り」の読者にも是非一読を勧めたい. google検索してみると,著者の望むように煽られて「誇り」を回復している人々も結構居るようである.しかし,そうしたblog等では,概して「日本人であること」自体に誇りを持つのではなく,反米,反中国,反北朝鮮,反日教組といったねじ曲がった雰囲気が感じられるのは気のせいだろうか.いわば「仮想敵」を配置して,自身の「誇り」を回復しているような感じであり,自らの本性に湧き出る誇りを感得している様子は観られないように思う.まさか著者はそうしたことを望んでいるのではあるまい. ちなみに,私はワイツゼッカーの演説「荒れ野の40年」が大好きである.「罪意識」を自ら明確に示しながらも,そこにはある種の尊厳を感じることが出来る.戦後の日本に観られなかったもの,日本には感じられない「誇り」とは,実はこうしたことではないのか.この本に煽られて色々と主張しているblog等にも,そうした「誇り」は全く感じることが出来ない.非常に残念であるが… ▲
by nobu_san
| 2011-09-07 23:56
| 憲法・平和
大内要三氏の「オペレーション・トモダチとは何だったか」
私が大好きな「きみはサンダーバードを知っているか」だが,今なら,議論の可能性があるんじゃないかな.最先端のレスキュー機器でも,自衛隊の重火器とは比べ物にならないくらい安価だろうし.なぜか唯一叩かれない「公務員」である自衛隊員ですが,議論する価値はあるのでは. ▲
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| 2011-07-14 12:50
| 憲法・平和
研究仲間の集会で,福島原発の放射能汚染が話題になると,どちらかというと「騒ぎ過ぎ」,「ヒステリー状態だ」というような意見が多いように思う.「24時間そこに居るのか.24を掛けるのは間違っている」とかいう意見は確かにそうかも知れない.
でも,東京あたりのホットスポットで騒いでいるのと,福島原発周辺の問題とは違うように思う.はっきりした閾値は無いのだろうが,だからといって「安全」の閾値を適当に修正してやり過ごすのではなく,政治がやらないといけないことはあるんじゃないのかな… 「子どもを救え、仕事をつくり出せ―国は過去の経験に学べ」は7月9日の桂敬一氏のNPJの記事(7月5日付)のタイトル. ▲
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| 2011-07-11 23:11
| 憲法・平和
通勤の地下鉄で表記の本を読んでいる.
私も,正坐という坐り方が,決して日本人の伝統的な坐り方ではなく,明治以降の近代日本になってから普及したものであるとは,全く知らなかった.しかも「正坐」という呼称すらも精々明治から大正期にかけての学校制度での礼法教育の中で,「正しい」坐し方としての基準を作り出して行く中で生まれて来た用語だったとは… 作者も,
と書いているが,明治以降の日本政府の教育策の「成功」には驚くばかりだ. 一旦,「伝統」の地位を獲得することに成功してしまえば,導入のための教育が始められた当時の初期の反感や混乱は忘れ去られる.私がこのblogで何度も話題にする「日の丸,君が代」も,全く同じだ.日本人の多くに,すっかり「伝統文化」なのだとして定着させることに成功している. ▲
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| 2011-06-17 18:56
| 憲法・平和
もう記憶が薄れているが,そんなことがあったなと…
水島朝穂の平和憲法のメッセージ「今週の直言」(2011年6月6日付)に,2004年秋の園遊会で天皇が東京都教育委員・米長邦雄に「やはり、強制になるということでないことが望ましいですね」と返した件… また,ピアノ伴奏拒否訴訟判決(2007年2月27日第3小法廷)の藤田宙靖裁判官の「反対意見」も,思い出した.その時も,大学法人化当時は「敵」の一人と思っていたのにと思いながら読んで,最高裁判所裁判官国民審査で×にするか考えてみたのだったような気がする… しかし,この「今週の直言」に引用されている補足意見を読めば,裁判官って嫌な職業だなと思うね.「危惧」として色々書いているように,ダメだと言いたい.でも法解釈の範囲内では「紙一重で合憲性」であるので,そういう判決を出すしかない…そして,大阪でも見られるように,その「判決」のみを利用して,世の中は悪い方向に進んで行くのだが,それに対しては自分は無力だ,と諦めるのだろうか… ▲
by nobu_san
| 2011-06-07 19:17
| 憲法・平和
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| 2011-06-01 12:08
| 憲法・平和
週末,某所でのお茶のみ話で,たまたま橋本知事が鳥取県知事に謝った件が話題になり,彼がさっさと謝ったことを高く評価したのが元は小学校長まで務めた人だったので,つい国旗国家条例案のことも話題にしてみました.
記憶をまとめると,その人によると,
という感じでした.校長をしていた人なので,この主張になるのは当然かも知れません.別の人が話題を変え,場所が場所でしたのでそれ以上の議論は無理と判断し,私も止めてしまいました. その人の居た職場の状況を知りませんが,一つめの主張は,少くとも私がいろいろ読んだり,処分された関係者の講演を聞いたりする内容とは随分違います.反対する人が「反対しないと仲間外れになる」と心配しないといけないような学校現場なら安心だと思いますが,残念ながらおそらくそういう職場は全国的には多くないのではないでしょうか. 二つめの主張も本当にそうなのかな.「きちんと教えて」の意味は「これが国旗です.これが国歌です.いいですか分りましたか.」ではないでしょうが,まさか,私が何度も主張しているように,戦争遂行のための道具だったことの意味を「きちんと教えろ」という要望でもないでしょう.でも,要望の真意をちゃんと調べる必要はあると思います. しかし,もしも本当に,今の若い保護者層の多数が「天皇」や「国家」という意味で「きちんと教えろ」という考え方を持ってしまっているのだとすると,ただ子供達に知識を詰め込めばいい塾の講師じゃあるまいし,教育者としては,そういう現に在る要求にどうやって合せていくかに腐心するのではなく,ちょっと危機感を持つ必要があるのではないでしょうか.子供達の成績のみに興味があって,彼らの未来がどうでもいいならともかく… さて,前回の続きですが,2chとかで主張される,一般国民が国家に忠誠を誓っていたというのも,果して本当にこの国の伝統でしょうか.そもそも国家意識なんてものが一般にあったのかも私には疑問に思えます.私のような一般人の先祖は,おそらく,どこかの大名の知行地の石高で表わされるだけの,ただの耕作人夫でしょう.その時々の領主樣については,畏れたり敬ったりしたかも知れませんが,日本という国や天皇の存在を意識したことが,果してあったでしょうか.その類のことがもしもあったとしても,江戸300年は「伝統」として敬っていたのは天皇じゃなくて将軍でしょうし… 江戸と言えば,江戸時代までは,戦といえば,戦闘員である武士の仕事ですよね.本来非戦闘員であった全国民まで強引に騒動に巻き込み,「国家」への忠誠を求めて総力戦に参加させる必要があったのは,先の第二次世界大戦だけではないでしょうか.随分譲っても,そんなのは精々明治以降の極最近の短かい「伝統」でしょう… そういう,伝統的には国家意識なんてものも持っていなかった非戦闘員である一般国民を,伝統的には彼らの本来の役割ではない戦闘行為に動員するために,日の丸・君が代というツールが必要だった.それだけのこと…違いますかね… ▲
by nobu_san
| 2011-05-29 22:01
| 憲法・平和
昨日,大阪維新の会が「君が代」条例案を議会に提出したらしい.
ニュースサイトでも取り上げられているし,2chを始めとするネット上でも「議論」が観られる.これは条例案本文を見てみたいが,残念ながら大阪維新の会のHPにも掲載されていないようだ…と思ったらここにあった
というものらしい. 加藤周一を読み直したからという訳でもないが,なんですかね,この条例.橋本知事は新聞の報道に対して,批判するなら次の選挙で勝負しようなんて言い方をしているから,「何か考える人」は黙っているのはダメでしょう… 第一条(目的)の所の書き方なんで,それこそ何も問題無さそうな,じんわりと市民を締め付けていく権力装置作りの模範例みたいですね.「普通」の人にとっては,「常識的」で,何も問題ない. 天皇個人に極度に権力を集中して,政治の道具として利用したのは,日本の歴史上も極めて希な状態で,ここで謂う「伝統と文化」って何なのさ,明治後期以降の極めて最近のことを指しているのかとか疑問に思わない「普通」の人が読んだら,いったいどこが問題なのさって感じ… いやあ,しかし,2chとかの議論を観ていると面白いなあ. 「国旗を見たら,反射的に胸に手を当てて,国家に忠誠を尽すように育てるのがあたりまえだろ!」とか… 「これで,やっと子供達がまともな教育を受けられるようになる」とか… 威勢がいいけど,そんなこと書いている人は,上官に「爆弾抱えて敵に突っこんで死んで来い!」って命令されたら素直に勇ましく行くのかね.あるいは,自分の子供が馬鹿な上官にそういう命令をされるような国にしたいのかな.理解出来ん…あるいは,そんな書き込みの人は私のような一般市民じゃなくて権力側の人ばかりで,もしかしたら命令する側にはなるかも知れないが,決っして無意味に突撃させられるような「消耗品」にはならないような方々ばかりなのかな… 私はもちろん戦争(無差別大量殺人)反対ですが,戦国時代のように,お互いに名乗りを上げて切り結ぶような,自分の技を活かせる戦ならまだしも,近代戦のようにただの部品になって戦争に無理矢理参加させられるのはまっぴらごめんだ.ましてや,セオドア・バンカークになんか絶対なりたくない. しかし,そもそも,そういう人の言っている「国家」って何ですかね…威勢がいいけど「国家」の範囲は,ぜいぜい親兄弟じゃないのか…それに,こういう事態がじわじわ進行して行った先の未来に,自分達に,どういう「国家」が良いか選択する自由があるとでも思ってるのかな.いや,「国家」の政策やあり方なんてどうでも良くて,ただ天皇を戴いていれば,それだけでいいのかな. 何度も同じことを書きますが,私は「君が代」と「日の丸」を無視して,皆で忘れ去ろうという運動の仕方には反対です.そういう意味では,大阪府が教育機関で毎日「日の丸」を掲揚し,「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」ために,毎日それに正対して,それを戦争遂行に使ったことを反省し,決っして忘れないようにという教育をするんだというなら,寧ろ大賛成だ! ▲
by nobu_san
| 2011-05-26 13:34
| 憲法・平和
加藤周一の「私にとっての20世紀」が文庫になってるのを見付けたので,通勤の地下鉄で読み直しています.今日も出張だったので,帰路の地下鉄で読んでました.
上の娘(中2)に「政府が何かしようとするでしょ.例えば戦争とか.その時に,自分は良く分らないなと思って黙っていることは,実はそれに賛成していることと同じだよ.ちゃんと反対なら反対って言えるように勉強しな」って話したら「分った」って言ってた. けど,奴は本当に分ってんのかな… 教員任期法の頃だったか,「反対者」の私がゴチャゴチャ言っている時,学会の重鎮でもある東大の教授が「うちの大学ではそういう不満を言うことなく助手は黙々と研究・教育に日夜がんばっている」と言われたことがある. 当時,本当にそうなのであれば、東大助手の公募に「研究テーマ以外の社会一般の出来事に対しても,きちんと疑問を抱いたり、問題を指摘することが出来、自分の意見を公に表明する能力を有すること」という項目を入れた方がいいのではないかと反発していた.たぶん、それらの助手の多くが、将来「東大教授」として社会的責任を負って行くのだろうからと. ▲
by nobu_san
| 2011-05-21 23:55
| 憲法・平和
昨日の中日新聞の夕刊1面には「屋外活動制限 悩む学校」という見出しで,屋外活動を制限している小中学校では子供がストレスを溜めないよう心を砕いている,という記事がありました(ネット上では発見できず).
中遊びのための体育館は避難所になっているのでしょうし,全く目には見えない放射線で「中に居なさい」と子供達(特に低学年や就学前児童)に制限を課すのは現場の問題としては容易でないのかも知れません. しかし,そうだからといってさっさとICRP上限まで数値をいじって制限を緩和して外遊びを可能にしてやるのがいいのかは私には疑問があります.リスクを誰がどのように受けるのか,もっと大きな政治的な議論と,責任の所在の明確化と説明が,先に必要な事項のように思います. 上のリンクから辿れる原子力安全委員会事務局の説明では,何を重視したかで「20mSvかつかつではなく…」とコメントしていますが,報道では「3.8μSv/時の基準値を下回った」として制限を解除しています.そういえば「解除」の報道では「20mSv/年」を使わないで「3.8μSv/時」の方を使っているのは,基準値を20倍に緩和したことを見えにくくすることと,ミリでなくマイクロで微量の印象を狙っていないでしょうか… ▲
by nobu_san
| 2011-05-01 08:42
| 憲法・平和
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