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2005年 01月 05日
腐儒にもなれぬが
遅まきながら,家永三郎の「戦争責任」を読み始めた.

はしがきで家永が自己の不作為の反省を書いた文章を紹介している.随分前にAc-netでも紹介されているが,ここにもメモ代わりに一部紹介しておきたい.

ある、偉い学者が、学問をする者は腐儒になる位の心がけでなければならぬ、と云われたそうである。あまりに佞儒(ねいじゅ)のみ多い日本では、腐儒になることさえが一つのレジスタンスでもあろう。しかし社会が不幸なる方向に向ってころげ落ちようとするのを外(よそ)にみて、自分の専門のしごとがあるとすましているのが、果して学問をする者のとるべき態度であろうか。太平洋戦争の間、私は腐儒となることによって佞儒となることを免れた。私は、今になって自分が消極的な意味での戦争犯罪人ーー戦争を防止するための義務を怠った不作為の犯罪人であったとの自責の念に堪えない。私は今度こそはその後悔を二度としたくはないと思う。同胞を破滅への道に駆りたてる力に向って、私たちは敢然と立ち向わなければならぬ、と思う。

大きいことでは国の進む方向について考える際,比較にならないほど小さいことでは例えば「組合」にさそった際にでも,「私は忙しい」ということが大学の教員でさえも自己の不作為の理由になる.それは家永が反省している時代と結局何も変わらない.そういえば,いろいろやってみても実際何も目立った結果を生まない(気がする)最近,自分のやっていることもなんとなくただのアリバイ的かと嫌になっている面もある.どうせ変わらないと思った時点で負けだろうに...
by nobu_san | 2005-01-05 00:58 | 気になること
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