2011年 05月 26日
大阪維新の会の「君が代」条例案
昨日,大阪維新の会が「君が代」条例案を議会に提出したらしい.

ニュースサイトでも取り上げられているし,2chを始めとするネット上でも「議論」が観られる.これは条例案本文を見てみたいが,残念ながら大阪維新の会のHPにも掲載されていないようだ…と思ったらここにあった


    大阪府の施設における国旗の掲揚及び
    教職員による国歌の斉唱に関する条例(案)

(目的)
第一条 この条例は、国旗及び国歌に関する法律(平成11年法律第127号)、教育基本法(平成18年法律第120号)及び学習指導要領の趣旨を踏まえ、府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱について定めることにより、府民、とりわけ次代を担う子どもが伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する意識の高揚に資するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと並びに府立学校及び府内の市町村立学校における含む規律の厳格化を図ることを目的とする。

(定義)
第二条 この条例において「府の施設」とは、府の教育委員会の所管に属する学校の施設その他の府の事務又は事業の用に供している施設(府以外の者の所有する建物に所在する施設及び府の職員の在勤する公署でない施設を除く。)をいう。
2 この条例において「教職員」とは、府立学校及び府内の市町村立学校のうち、学校教育法(昭和22年法律第20号)第1条に定める小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校に勤務する校長、教員その他の者をいう。

(国旗の掲揚)
第三条 府の施設においては、その執務時間(地方自治法(昭和22年法律第67号)第244条第1項に規定する公の施設にあっては、府民の利用に供する時間)において、その利用者の見やすい場所に国旗を掲げるものとする。

(国歌の斉唱)
第四条 府立学校及び府内の市町村立学校の行事において行われる国歌の斉唱にあたっては、教職員は起立により斉唱を行うものとする。ただし、身体上の障がい、負傷又は疾病により起立、若しくは斉唱するのに支障があると校長が認める者については、その限りでない。
2 前項の規定は、市町村の教育委員会による服務の監督の権限を侵すものではない。

   附 則
この条例は、交付の日から施行する。

というものらしい.

加藤周一を読み直したからという訳でもないが,なんですかね,この条例.橋本知事は新聞の報道に対して,批判するなら次の選挙で勝負しようなんて言い方をしているから,「何か考える人」は黙っているのはダメでしょう…

第一条(目的)の所の書き方なんで,それこそ何も問題無さそうな,じんわりと市民を締め付けていく権力装置作りの模範例みたいですね.「普通」の人にとっては,「常識的」で,何も問題ない.

天皇個人に極度に権力を集中して,政治の道具として利用したのは,日本の歴史上も極めて希な状態で,ここで謂う「伝統と文化」って何なのさ,明治後期以降の極めて最近のことを指しているのかとか疑問に思わない「普通」の人が読んだら,いったいどこが問題なのさって感じ…

いやあ,しかし,2chとかの議論を観ていると面白いなあ.
「国旗を見たら,反射的に胸に手を当てて,国家に忠誠を尽すように育てるのがあたりまえだろ!」とか…
「これで,やっと子供達がまともな教育を受けられるようになる」とか…

威勢がいいけど,そんなこと書いている人は,上官に「爆弾抱えて敵に突っこんで死んで来い!」って命令されたら素直に勇ましく行くのかね.あるいは,自分の子供が馬鹿な上官にそういう命令をされるような国にしたいのかな.理解出来ん…あるいは,そんな書き込みの人は私のような一般市民じゃなくて権力側の人ばかりで,もしかしたら命令する側にはなるかも知れないが,決っして無意味に突撃させられるような「消耗品」にはならないような方々ばかりなのかな…

私はもちろん戦争(無差別大量殺人)反対ですが,戦国時代のように,お互いに名乗りを上げて切り結ぶような,自分の技を活かせる戦ならまだしも,近代戦のようにただの部品になって戦争に無理矢理参加させられるのはまっぴらごめんだ.ましてや,セオドア・バンカークになんか絶対なりたくない.

しかし,そもそも,そういう人の言っている「国家」って何ですかね…威勢がいいけど「国家」の範囲は,ぜいぜい親兄弟じゃないのか…それに,こういう事態がじわじわ進行して行った先の未来に,自分達に,どういう「国家」が良いか選択する自由があるとでも思ってるのかな.いや,「国家」の政策やあり方なんてどうでも良くて,ただ天皇を戴いていれば,それだけでいいのかな.

何度も同じことを書きますが,私は「君が代」と「日の丸」を無視して,皆で忘れ去ろうという運動の仕方には反対です.そういう意味では,大阪府が教育機関で毎日「日の丸」を掲揚し,「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」ために,毎日それに正対して,それを戦争遂行に使ったことを反省し,決っして忘れないようにという教育をするんだというなら,寧ろ大賛成だ!
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# by nobu_san | 2011-05-26 13:34 | 憲法・平和
2011年 05月 21日
「沈黙」の意味
加藤周一の「私にとっての20世紀」が文庫になってるのを見付けたので,通勤の地下鉄で読み直しています.今日も出張だったので,帰路の地下鉄で読んでました.

上の娘(中2)に「政府が何かしようとするでしょ.例えば戦争とか.その時に,自分は良く分らないなと思って黙っていることは,実はそれに賛成していることと同じだよ.ちゃんと反対なら反対って言えるように勉強しな」って話したら「分った」って言ってた.

けど,奴は本当に分ってんのかな…

教員任期法の頃だったか,「反対者」の私がゴチャゴチャ言っている時,学会の重鎮でもある東大の教授が「うちの大学ではそういう不満を言うことなく助手は黙々と研究・教育に日夜がんばっている」と言われたことがある.

当時,本当にそうなのであれば、東大助手の公募に「研究テーマ以外の社会一般の出来事に対しても,きちんと疑問を抱いたり、問題を指摘することが出来、自分の意見を公に表明する能力を有すること」という項目を入れた方がいいのではないかと反発していた.たぶん、それらの助手の多くが、将来「東大教授」として社会的責任を負って行くのだろうからと.
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# by nobu_san | 2011-05-21 23:55 | 憲法・平和
2011年 05月 01日
子供の被ばく線量制限の緩和問題(追追加)
昨日の中日新聞の夕刊1面には「屋外活動制限 悩む学校」という見出しで,屋外活動を制限している小中学校では子供がストレスを溜めないよう心を砕いている,という記事がありました(ネット上では発見できず).

中遊びのための体育館は避難所になっているのでしょうし,全く目には見えない放射線で「中に居なさい」と子供達(特に低学年や就学前児童)に制限を課すのは現場の問題としては容易でないのかも知れません.

しかし,そうだからといってさっさとICRP上限まで数値をいじって制限を緩和して外遊びを可能にしてやるのがいいのかは私には疑問があります.リスクを誰がどのように受けるのか,もっと大きな政治的な議論と,責任の所在の明確化と説明が,先に必要な事項のように思います.

上のリンクから辿れる原子力安全委員会事務局の説明では,何を重視したかで「20mSvかつかつではなく…」とコメントしていますが,報道では「3.8μSv/時の基準値を下回った」として制限を解除しています.そういえば「解除」の報道では「20mSv/年」を使わないで「3.8μSv/時」の方を使っているのは,基準値を20倍に緩和したことを見えにくくすることと,ミリでなくマイクロで微量の印象を狙っていないでしょうか…
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# by nobu_san | 2011-05-01 08:42 | 憲法・平和
2011年 04月 27日
子供の被ばく線量制限の緩和問題(追加)
22日にここに書いた「子供の被ばく線量制限の緩和問題」ですが,テレ朝ニュースで,国際医師団体「社会的責任を果たす医師の会」元会長アイラ・ヘルファンド博士が,文科省が子供の許容被ばく線量の許容値を20mSv/年に引き上げたことに疑問を伸べています.
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# by nobu_san | 2011-04-27 18:03 | 憲法・平和
2011年 04月 22日
子供の被ばく線量制限の緩和問題
文部科学省が児童の放射線許容量を年間20mSvとする安全基準を出したことに関して,21日にあった「交渉」の様子の情報をJSA愛知のMLでもらいました.

YouTubeのビデオ画像もここで見られます.他にもたくさんのblog等でも紹介されているようです.

放射線作業従事者(男)で50mSv/年ですよね.普段我々の居る管理区域の規制値(境界で1.3mSv/3月)からしても,低くはないですねえ.20mSv/年は普通の労働者だと10μSv/時くらいでしょうか.
ちなみに20mSv/年は1990年のICRP勧告では,原発労働者が白血病になった際に労災認定されるレベルとのことです…ちゃんと調べてないけど…もしそうなら要は健康に問題があったら放射線被ばくが原因だとして補償してもらえるレベルだということですよね…

しかし,今,この時期に,なぜそんな「仕事」の仕方をしないといけないのでしょう…なぜ文科省が規制値を上げて,子供達も「大丈夫です」って認めないといけないのでしょう.「福島県から要請があった」と言っているけど…どうしようにも仕方がないから,じゃあ規制値の方を引き上げて「問題が無いこと」にしてしまおうという発想(と思えますよね)は,ちょっとどうかなと思います.数字の方をいきなり20倍も引き上げて「大丈夫だ」としたら,そりゃあ怒るに決ってます.数値を上げて「大丈夫」としてしまうことは,全く責任のない福島の児童に,リスクを負えと言ってしまっている,そういうことだということに,なぜ気が付かないのでしょうか.

今,なぜ児童の許容線量の「数値」の方を急いで修正しないといけないのかが,私には理解できません.事実として多数の児童がそういう環境になる状態が現に在り,違法状態が大量に発生することを「国」は放置しておけない(逆に放置しておけるようにするには…)というだけの論理ではないでしょうか…20mSv以下の学校に帰って来ない児童は「自己都合」だってことにするのかな…いじるのは数字の方ではなくて,該当する児童の方をどうするのかを考えることの方が国・文科省の本来の「仕事」のように思います.とても大変でしょうけど.

しかも,このビデオに出て来る「担当者」の答弁はどうしようもないです.20mSvの意味や,この決定に対する内閣府原子力安全委員会の関与等,どういう経緯でこの数値にしたのかも全く説明が出来ていないで,かなり悲しくなります…



補足:20mSv/年は,ICRPが事故復旧時に住民が住み続ける場合の制限値として「年間の被ばく量を多くても1mSvから20mSvまでにとどめるべき」としている上限値なんですねえ…
しかし,上のYouTubeのビデオ画像では,なぜ担当者がそういう説明(それで良いかは別にして)をしないで,いい加減な回答をしてしまうのでしょうか…安易にどこかから上限の「数字」をもらって来るからですね…
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# by nobu_san | 2011-04-22 10:18 | 憲法・平和