2011年 07月 11日
子どもを救え、仕事をつくり出せ
研究仲間の集会で,福島原発の放射能汚染が話題になると,どちらかというと「騒ぎ過ぎ」,「ヒステリー状態だ」というような意見が多いように思う.「24時間そこに居るのか.24を掛けるのは間違っている」とかいう意見は確かにそうかも知れない.

でも,東京あたりのホットスポットで騒いでいるのと,福島原発周辺の問題とは違うように思う.はっきりした閾値は無いのだろうが,だからといって「安全」の閾値を適当に修正してやり過ごすのではなく,政治がやらないといけないことはあるんじゃないのかな…

「子どもを救え、仕事をつくり出せ―国は過去の経験に学べ」は7月9日の桂敬一氏のNPJの記事(7月5日付)のタイトル.
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# by nobu_san | 2011-07-11 23:11 | 憲法・平和
2011年 06月 17日
日本人の坐り方
通勤の地下鉄で表記の本を読んでいる.

私も,正坐という坐り方が,決して日本人の伝統的な坐り方ではなく,明治以降の近代日本になってから普及したものであるとは,全く知らなかった.しかも「正坐」という呼称すらも精々明治から大正期にかけての学校制度での礼法教育の中で,「正しい」坐し方としての基準を作り出して行く中で生まれて来た用語だったとは…

作者も,

私たちが伝統文化であると思っていた「正坐」とは,まぎれもなく近代日本の教育推進策の産物だったのである.

と書いているが,明治以降の日本政府の教育策の「成功」には驚くばかりだ.

一旦,「伝統」の地位を獲得することに成功してしまえば,導入のための教育が始められた当時の初期の反感や混乱は忘れ去られる.私がこのblogで何度も話題にする「日の丸,君が代」も,全く同じだ.日本人の多くに,すっかり「伝統文化」なのだとして定着させることに成功している.
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# by nobu_san | 2011-06-17 18:56 | 憲法・平和
2011年 06月 07日
やはり、強制になるということでないことが望ましいですね
もう記憶が薄れているが,そんなことがあったなと…

水島朝穂の平和憲法のメッセージ「今週の直言」(2011年6月6日付)に,2004年秋の園遊会で天皇が東京都教育委員・米長邦雄に「やはり、強制になるということでないことが望ましいですね」と返した件…

また,ピアノ伴奏拒否訴訟判決(2007年2月27日第3小法廷)の藤田宙靖裁判官の「反対意見」も,思い出した.その時も,大学法人化当時は「敵」の一人と思っていたのにと思いながら読んで,最高裁判所裁判官国民審査で×にするか考えてみたのだったような気がする…

しかし,この「今週の直言」に引用されている補足意見を読めば,裁判官って嫌な職業だなと思うね.「危惧」として色々書いているように,ダメだと言いたい.でも法解釈の範囲内では「紙一重で合憲性」であるので,そういう判決を出すしかない…そして,大阪でも見られるように,その「判決」のみを利用して,世の中は悪い方向に進んで行くのだが,それに対しては自分は無力だ,と諦めるのだろうか…
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# by nobu_san | 2011-06-07 19:17 | 憲法・平和
2011年 06月 01日
桂敬一氏の「メディアウォッチ56」
今,この時期に菅内閣不信任に向かう政局を批判している,桂敬一氏の「メディアウォッチ56」はここ
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# by nobu_san | 2011-06-01 12:08 | 憲法・平和
2011年 05月 29日
続:大阪維新の会の「君が代」条例案
週末,某所でのお茶のみ話で,たまたま橋本知事が鳥取県知事に謝った件が話題になり,彼がさっさと謝ったことを高く評価したのが元は小学校長まで務めた人だったので,つい国旗国家条例案のことも話題にしてみました.

記憶をまとめると,その人によると,

  • 学校教員で国旗・国家に反対している人の半分以上は,同僚から仲間外れにされないためにやっているだけだ.

  • 現在は国旗・国歌「法」があるので,保護者のほとんどは,学校でも国旗・国歌をきちんと教えてくれと言っている.

という感じでした.校長をしていた人なので,この主張になるのは当然かも知れません.別の人が話題を変え,場所が場所でしたのでそれ以上の議論は無理と判断し,私も止めてしまいました.

その人の居た職場の状況を知りませんが,一つめの主張は,少くとも私がいろいろ読んだり,処分された関係者の講演を聞いたりする内容とは随分違います.反対する人が「反対しないと仲間外れになる」と心配しないといけないような学校現場なら安心だと思いますが,残念ながらおそらくそういう職場は全国的には多くないのではないでしょうか.

二つめの主張も本当にそうなのかな.「きちんと教えて」の意味は「これが国旗です.これが国歌です.いいですか分りましたか.」ではないでしょうが,まさか,私が何度も主張しているように,戦争遂行のための道具だったことの意味を「きちんと教えろ」という要望でもないでしょう.でも,要望の真意をちゃんと調べる必要はあると思います.

しかし,もしも本当に,今の若い保護者層の多数が「天皇」や「国家」という意味で「きちんと教えろ」という考え方を持ってしまっているのだとすると,ただ子供達に知識を詰め込めばいい塾の講師じゃあるまいし,教育者としては,そういう現に在る要求にどうやって合せていくかに腐心するのではなく,ちょっと危機感を持つ必要があるのではないでしょうか.子供達の成績のみに興味があって,彼らの未来がどうでもいいならともかく…

さて,前回の続きですが,2chとかで主張される,一般国民が国家に忠誠を誓っていたというのも,果して本当にこの国の伝統でしょうか.そもそも国家意識なんてものが一般にあったのかも私には疑問に思えます.私のような一般人の先祖は,おそらく,どこかの大名の知行地の石高で表わされるだけの,ただの耕作人夫でしょう.その時々の領主樣については,畏れたり敬ったりしたかも知れませんが,日本という国や天皇の存在を意識したことが,果してあったでしょうか.その類のことがもしもあったとしても,江戸300年は「伝統」として敬っていたのは天皇じゃなくて将軍でしょうし…

江戸と言えば,江戸時代までは,戦といえば,戦闘員である武士の仕事ですよね.本来非戦闘員であった全国民まで強引に騒動に巻き込み,「国家」への忠誠を求めて総力戦に参加させる必要があったのは,先の第二次世界大戦だけではないでしょうか.随分譲っても,そんなのは精々明治以降の極最近の短かい「伝統」でしょう…

そういう,伝統的には国家意識なんてものも持っていなかった非戦闘員である一般国民を,伝統的には彼らの本来の役割ではない戦闘行為に動員するために,日の丸・君が代というツールが必要だった.それだけのこと…違いますかね…
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# by nobu_san | 2011-05-29 22:01 | 憲法・平和