2009年 11月 28日
国家という名の「個人」
カーン・ロスの「独立外交官」を読んでいました.

大学やその背後にある「国」と争うようになってから,ずっと「『大学』や『国』とは結局は,その問題の担当者『個人』のことだ」と思っていましたが,この本でカーン・ロスも.外交舞台での「国」は結局は,その問題を担当している官僚個人のことだと書いています.例えば,

イギリスの立場は --- といっても実際には数人の閣僚と上級官僚の立場にすぎないものを,...(p47)

とかです.
このところ話題の「仕分け」作業のあり方の疑問とも関連して,この本で著者が書いていることで面白いのは,外交問題そのものよりも,

いったいどうやって,ある一グループの人間が,国家の求めることを決める(ときには勝手に生み出す)権利を与えられるのか.(p109)

というような,特定のグループや個人が「国」や「大学」といった"組織そのもの"になってしまうメカニズムでしょうか.

同じような概念で「国民」というのもあります.特に法人化後の大学と争うときに大学側(この「大学」っていうのも問題ですが)から良く出て来るのは「国民の理解が得られない」という回答です.ではこの「国民」って何のことだろうと考えてみると,真の「国民」にはそこで争われている当の問題の情報なんか決っして届かない(あるいは仮に報道されてもおそらくはそんなに関心も持たれない)ので,実際には「国民」とは単に財務省の"若い"担当官だったりするわけです."若い"担当官は「『国民』の意識を忖度している」というのでしょうが...
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by nobu_san | 2009-11-28 00:24 | 憲法・平和
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