2005年 01月 14日
「戦争責任」を読み終えて (大学問題へ)
「戦争責任」をやっと読み終えた.

最近「チェチェン やめられない戦争」を読んだばかりでもあり,「責任論」自体よりも暴走する「軍隊」というものの本質が強く印象に残った.憲法を改悪してまでそういう暴力装置を持ちたい権力者の気が知れない.たまたまHNKの従軍慰安婦の女性国際戦犯法廷番組への政治家の圧力問題が報道されている.圧力をかけたのではなく「公正中立な報道を求めた」ということだが,チェチェンのロシア軍も,ケニアの英軍も,ベトナムやイラクの米軍もそうであるから,日本軍が従軍慰安婦を含む民間人に暴力的であったことは間違いないだろう. しかし,圧力をかけた議員,自民党,そして多くの日本人に,果たして「公正中立な報道」を受け入れるだけの度量があるかも疑問である.小泉首相の靖国参拝に反対した富士ゼロックス会長宅に火炎瓶が投げ込まれてしまうような国である.

何かを読んでも,すぐに「大学」の問題と短絡させてしまうのは「病気」かと思われるが,「戦争責任」に倣って,法人化された現在の大学の状況についても誰が誰に対してどのような責任を負うのかを,「国」,文科省,国大協,学長,教員,組合,学生,そして国民といった各層毎にきちんと整理する必要がある.

ところで,「戦争責任」で知識人・文化人の戦争責任を論じている中で,当時「批判の目」を持つ者の居た例として永井荷風の昭和16年6月15日の日記が紹介されている.

国民一般の政府の命令に服従して南京米を喰ひて不平を言わざるは恐怖の結果なり.(中略)今日にては忠孝を看板にし新政府の気に入るやうにして一稼なさむと焦慮するがためなり.元来日本人には理想なく強きものに従い其日々々を気楽に送ることを第一となすなり.今回の政治革新も戊辰の革命も一般の人民に取りては何等の差別もなし.

現在の大学と「国」の関係を批判するものとしてもそのまま読める. 「命令」に従っているわけでもないところで,さらに怖いか.
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by nobu_san | 2005-01-14 19:13 | 気になること
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