2011年 03月 05日
「街場の大学論」
Twitterでの議論がきっかけで,内田樹さんの「街場の大学論」を通勤の地下鉄で読んだ.
色々考えたけど,一つは自分の授業について…

前任校に助教授として着任してすぐ,出たくない教授連の代りに「新任だからちょうどいい」と,FDを受講させられた.それまで10年以上大学を離れていたので,大学の変化に当惑していたし,FDを素直に受け入れて,分り易い授業をすることを心掛けて来たつもり.最近では,Presentation Zenなんかも勉強し,ついこの前も現職場の1年生のオムニバス形式の授業をその線でやったばかりだ.
出席を兼ねた学生の感想メモに「面白かったです」,「よく分りました」,「こんな授業もあるんですね」が多かったのを単純に喜んでいたけれど,それでいいんだろうか…

私の場合,大学の教養部の講義で,なにやら深淵な学問体系を感じて,高校とは違うな,と納得していたものがいくつかあったように思う.内容は良くは理解できなかったけれども.少くとも,私の授業は,そうはなっていないだろう.そういえば「講義」と「授業」の区別もいつの間にか気にしなくなってしまった,前任校に着任した当初は,大学だから「講義」だろうと思ってやっていたのだが,いつのまにか「授業」になってしまった.

一つ思い出したのは私の師匠が学部3年にやっていた講義.空間群とX線結晶学を隔年でやり,私は空間群を受講した.半分演習形式での展開の合間に,彼は,何度もバナールの「歴史における科学」の一部を朗読して学生に聞かせた.蛋白質結晶学の創生期のバナールの言葉で読み聞かせたのは,要は学問とはどういうものかだろう.(「研究」とはどういうものかとはちょっと違う.)

空間群は随分忘れてしまったが,バナールを読んで何やら熱く学問を語っていたということはしっかり覚えている.読めば...分る教科書を親切丁寧にやる私の授業を受講した学生達.10年,20年後に何か覚えているだろうか.どこが重要で,どこを覚えればいいのか質問して来る学生が居るくらいだし,単純に知識伝達の授業では,おそらく期末試験が終った瞬間に一切忘れてしまっているのだろう.それでいいような授業しかしていないとも思う…

今や「学問」という言葉は死語な気もする…一昨日の3年生相手の講座説明会でも,私を含めて数人の先生の話に「研究」は何度も出て来たが,「学問」って言葉は,たぶん一回も出て来なかった.


大学法人化「反対者」だったへそ曲がりの私としては,当時の「敵」の一人である文科省の杉野さんとの対談は,非常に興味深い.これを読んで思うのは,要は大学人の側の問題が大きいのだということ.たぶん中途半端に利口すぎる.世渡りが上手でなければ,今や大学でも生きていけないということかも知れない.前にも書いたように,私達反対者が色々議論しようとしても,どうして空気が読めないのか,というようなことを要路の先生方が言われるのである…つい先日のパブコメ騒動も記憶に新しい…

あと一点.内田先生,国立大学は「国立大学法人」に移行したので「独立行政法人」になったのとは「ちょっとだけ」違いますよ…
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by nobu_san | 2011-03-05 08:18 | 大学問題
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